平成16年1月13日宣告 裁判所書記官 大沢正一
平成14年刑(わ)第3618号
 判 決 

本籍 
住居 
職業 会社役員

貴志元則 昭和 年 月 日生

 上記の者に対するわいせつ図画頒布被告事件について、当裁判所は、検察官西
村金高並びに弁護人山口貴士(主任)、同岡本敬一郎及び同望月克也各出席の上審
理し、次のとおり判決する。

 主 文 
 被告人を懲役1年に処する。
 この裁判確定の日から3年間その刑の執行を猶予する。
 訴訟費用はすべて被告人の負担とする。
 理 由

(罪となるべき事実)
被告人は、株式会社松文館の代表取締役であるが、同社編集局長****及び同社と
専属契約している漫画家ビューティ・ヘアこと****と共謀の上、平成14年4月13
日から同月16日までの間、別表1及び2各記載のとおり、東京都板橋区高島平6丁
目1番7号所在の協和出版販売株式会社高島平物流センターほか20か所において、
同区志村2丁目15番.9号所在の同社(代表取締役雨谷正巳)ほか15社に対し、男女
の性交、性戯場面等を露骨に描写した漫画を印刷掲載したわいせつ図画である漫
画本「蜜室」2万544冊を頒布した。

(証拠の標目) 省略

一2一

(争点に対する判断)
弁護人らは、被告人が、判示の共犯者らと共謀9上、判示日及び場所において、
漫画本「蜜室」(以下「本件漫画本」という。)を頒布したことは認めながらも、
(1)そもそも刑法175条は、表現の自由及び国民の知る権利を保障する憲法21条に
違反し、無効である、(2)刑法175条にいう「わいせつ」の概念は漠然不明確であ
るから、同条は、憲法21条の要請する明確性の原則及び憲法31条の保障する罪刑
法定主義に違反し、無効である、B刑法175条の法条自体が違憲でなくても、同
条を本件に適用することは、捜査官の恣意的な判断に基づき事実上の発禁処分を
許すものであり、憲法21条及び憲法31条に違反し、許されない、C仮に刑法175
条が合憲であるとしても、本件漫画本は同条所定の「わいせつ図画」には当たら
ない、D仮に本件漫画本がわいせつ図画に当たるとしても、被告人は、わいせつ
図画頒布罪の故意を欠いていたか、又は本件漫画本がわいせつ図画でないと信じ
るについて相当な理由があった、として、被告人は無罪である旨主張し、被告人
も、弁護人らの主張に沿うような供述をしている。そこで、以下において、判示
のとおり、刑法175条が合憲であることを前提に、本件漫画本がわいせつ図画に
当たり、被告人にはわいせつ図画頒布の故意があると認定した理由について補足
して説明することとする。
第1 刑法175条の合憲性について
1 表現の自由及び国民の知る権利との関係について
(1) 刑法175条の保護法益
 ア(ア) 刑法175条は、わいせつな文書、図画その他の物(以下「わいせつ物」
という。)の頒布、販売、公然陳列及び販売目的所持(以下「頒布等」という。)
を処罰するものである。同条の保護法益について、最高裁判所は、「性的秩序を
守り、最少限度の性道徳を維持すること」(昭和32年3月13目大法廷判決・刑集11
巻3号997頁(いわゆるチャタレー事件判決))あるいは「性生活に関する秩序及び
健全な性風俗の維持」(昭和44年10月15日大法廷判決・刑集23巻

一3一

10号1239頁(いわゆる悪徳の栄え事件判決))であると判示するところ、当裁判所
も、これらの判例と同様に解するものであり現時点においてもこの解釈を変更す
べき事情を見出すことはできない。
 (イ)a この点、弁護人らは、現代社会では、人々の価値観が多様化し、何が
公益かを一律に判断することが困難となっており、そのような状況下において、
国が特定の価値判断や道徳観念を保護して強制することは、法と道徳との分離と
いう近代法の大原則に反するばかりか、憲法19条の思想・良心の自由や国家の思
想的中立性にも反するから、最高裁判所の示す保護法益は、刑法175条の正当な
立法目的とはなり得ない旨主張する。そして確かに、国家や企業、琴庭や地域社
会等の在り方の変化、社会の複雑化や国際化、多様な媒体を介しての膨大な情報
の流布等といった様々な要因が相まって、人々の価値観が次第に多様化してきて
いることは、否定し難い事実である。
 b(a) しかしながら、日本国内においても、近時、様々な性表現物が氾濫して、
一般の人々にも比較的容易に入手可能な状態となり、その内容も過激さを増して
きており;その傾向は、インターネットの普及によって更に強まってきているこ
とがうかがわれるところ、このような性表現物をめぐる社会状況の変化は、それ
自体、性的秩序やその基礎となる最少限度の性道徳、更には健全な性風俗の維持
にも脅威を及ぼしかねないものというべきである。
 (b) こうしたインターネットの普及を受けて、いわゆるサイバー犯罪への対
応のため、平成13年11月、「サイバー犯罪に関する条約」が欧州評議会で採択さ
れ、我が国もG7諸国や欧州の大多数の国と共に同条約に署名している。その後、
法務大臣は、同条約の締結批准に向けた法整備のために、法制審議会に対し、ハ
イテク犯罪に対処するための刑事法の整備に関する諮間を行い、これを受けて、
法制審議会は、平成15年9月に、その要綱(骨子)の答申を行ったが、その審議の
過程において、刑法175条の処罰範囲を、わいせつな電磁的記録に係る記録媒体
の頒布等のほか、電気通信の送信によるわいせつな電磁的記録その他の記録の頒
布等とい

一4一

ったいわゆるサイバーポルノに拡張するための改正、(同要綱(骨子)第2)につい
ては、全会一致で採択されている(ジュリスト1257号参照)。このようなサイバー
ポルノ規制の立法化に向けた動きは、我が国の法律専門家の間で、わいせつ物の
頒布等を処罰する必要性のみならず、その処罰範囲をサイバーポルノにまで拡張
する必要性についても、コンセンサスが得られていることを示すものである。
 (c) また、刑法175条の運用状況についてみても、露骨な性表現を内容とする
ビデオチープ、DVD、写真集等の頒布等については今日においても捜査当局によ
る摘発が頻繁に行われ、その相当数が同条により処罰されている。すなわち警察
によるわいせつ物頒布等被疑事件の検挙人員は、昭和58年の2388人をピークに減
少傾向にはあるが、平成10年が881人、平成14年も483人(このうちネットワーク
利用犯罪の検挙件数は109件)を数える(各年度の犯罪白書による。)。わいせつ物
頒布等の罪で有罪判決又は略式命令を受けた人員についても、ほぼ同様の傾向が
みられるのであり、詳細な罪名別の統計が公表された最終年である平成10年には、
有罪判決を受けた者が218人、略式命令を受けた者が311人の合計529人に及んで
いる(各年度の司法統計年報2刑事編による。)。そして、このような刑法175条の
運用について、一般国民から、特に不当とみられることなく、むしろ当然のこと
として受け入れられていることは、公知の事実である。
 この点、.捜査当局による摘発は、おびただしい数に上る性表現物の一部につ
いてのみ行われ、同様の露骨な性表現物であっても、その相当数が摘発を免れて
いるとうかがわれるが、これは、捜査当局の人員や捜査能力の限界に基づくもの
にすぎず、露骨な性表現物が事実上放任されているなどと評価すべき筋合いのも
のでないことはいうまでもない。
 (d) そうすると、価値観が多様化しつつある今日においても、法律専門家は
もとより、一般国民の間においても、性的秩序や最少限度の性道徳、健全な性風
俗は維持すべきものであり、その脅威となるべきわいせつ物の頒布等は取り締ま
るべきで

一5一

ある旨の社会的合意が確固として存在しているものと認めることができる。
 c さらに、性的秩序や性道徳、性風俗が乱れることは、強姦、強制わいせつ
といった性犯罪を誘発し、青少年の健全な育成を阻害し、ある.いは売春等が蔓
延するなどして、その被害者や青少年等の様々な人権を具体的に侵害するおそれ
を誘発することは自明の理である。もとより、刑法175条によるわいせつ物の規
制は1性犯罪の抑止や青少年の健全な育成、売春の防止等といった個々の具体的
法益の保護を直接の目的とするものではないが、性的秩序や最少限度の性道徳、
健全な性風俗を維持することによって、これらの具体的法益の保護にも間接的に
寄与するものということができる。換言すれば、性的秩序や最少限度の性道徳、
健全な性風俗の維持は、性犯罪の抑止や青少年の健全な育成、売春の防止等とい
った個々の具体的法益の保護を下支えする基礎的な法益ともいえるのである。
d 以上のように、性的秩序や最少限度の性道徳、健全な性風俗の維持は、性犯
罪の抑止や青少年の健全な育成、売春の防止等といった個々の具体的法益の保護
を下支えする基礎的な法益ともいえるものであるから、その保護は、決して、国
家が一定の道徳や価値観を国民に一方的に押しつけるようなものではなく、国民
の様々な基本的人権を保障するための基盤造りを目的とするものであって、憲法
19条に違反しないことは明らかである。しかも、わいせつ物の頒布等を取り締ま
るぺき旨の社会的合意が確固として存在する以上、刑法175条によるわいせつ物
の規制は、価値観が多様化した今日においても、十分に合理的根拠を有するもの
といえるのである。イ同次に、弁護人らは、一わいせつ物が串回ることにより性
犯罪等が誘発される危険性の立証が全くなされておらず、刑法175条の立法事実、
すなわち、同条による規制を必要とする社会的事実は存在しないから、同条の立
法目的自体が正当なものとはいえない旨主張する。この点、弁護側証人として出
廷した社会学者の宮基眞司は、刑法175条による規制について、明治以降の@国
民化のためと、A先進国の仲間入りをするに足りる

一6一
民度や社会の体裁を備えていることを内外に示すためという2つの目的によるも
のであるが、現時点においては、その2つの目的は既に達成されている、また、
性的メディアヘの接触により性欲が亢進して性行動や性犯罪に及ぶという見方は、
通念としては存在するが、実証的には全く根拠がないと述べており、同じく憲法
学者の奥平康弘も、人は他人や社会を害するのでない限りは一切自由であり、こ
のことを表現の自由、特にわいせつ文書の規制の領域で考えると、わいせつ文書
が実質的害悪を引き起こすことを経験科学的に立証する必要があるがそのことは
ほとんど不可能に近いといえると述べている。
(イ)しかしながら、刑法175条は、前判示のとおり性犯罪の抑止自体を立法目的
とするものではなく、直接には、性的秩序や最少限度の性道徳、健全な性風俗の
維持を保護法益とし、その実現を介することによって、性犯罪の抑止等にも間接
的に寄与しようとするものである。しかも、わいせつ物の頒布等が、性的秩序や
最少限度の性道徳、健全な性風俗の維持を阻害するおそれのある行為であること
は、社会通念上明らかというべきである。
ウ(ア)弁護人らは、漫画雑誌や漫画単行本の売上が急増しているのに、性犯罪
による少年の検挙者数が大幅に減少していることなどを指摘して、わいせつ物の
頒布等が性犯罪を誘発するというのは科学的に何らの根拠のない俗信にすぎない
とも主張する。
(イ)そこでまず、少年による性犯罪の動向についてみるに、検察庁における少
年による強姦又は強制わいせつ(いずれも致死傷を含む。)被疑事件の受理人員の
合計は、昭和49年まで2000人を超えていたが、その後は減少傾向が続き、昭和55
年に1571人、平成2年に743人まで減少して以降は、570人から840人までの間で増
減を繰り返して、平成14年には568人となっており(各年度の検察統計年報による。
)、家庭裁判所における保護事件の処分人員についても、強姦又はわいせつ(強制
わいせつのほか、公然わいせつ、わいせつ物頒布等を含む。)非行事件の既済人
員の合計が、昭和55年に1758人、平成2年に904人、平

一7一

成14年に516人になるなど、ほぽ同様の傾向が認められ(各年度の司法統計年報4
少年編による。)、少年の総数がかなり減少してきていること(満15歳から19歳ま
での人口は、平成2年が約1001万人であったのに対し、平成13年には約735万人に
減少している。日本統計年報による。)を考慮しても、比較的落ち着いた状況に
あるといえる。
 (ウ) しかしながら、成人・少年を問わない性犯罪の認知件数及び検挙件数の
動向は、これとは全く異なる様相を示している。すなわち、警察における強姦又
は強制わいせつ被疑事件(いずれも致死傷を含む。)の認知件数の合計は、昭和50
年に.6545件(検挙人員は5622人)であったものが、次第に減少し、昭和61年の
4041人(同じく2682人)を底に増加を始め、平成7年に5144件(同じく2624人)にな
り、更に平成11年以降は激増して、平成12年は9672件(同じく3772人)、平成14年
には1万1833件(同じく3485人)にまで達しているのである(各年度の犯罪白書によ
る。なお、日本統計年報によると、満15歳から64歳までの人口は、平成2年以降、
8600万人ないし8700万人前後で推移し、大きな増減はみられない。)。もとより、
このように性犯罪が激増している原因を、前にみたような性表現物をめぐる社会
状況の変化にすべて帰せしめることはできないにしても、性犯罪の増加は、社会
における性的秩序の弛緩ないし性道徳の退廃を示唆するものであるから、性表現
物をめぐる社会状況の変化とも一定の関係を有することは容易に推認できるとこ
ろである。したがって、このような近時の性犯罪の動向に照らすと、性的秩序や
最少限度の性道徳、健全な性風俗の維持は、とりわけ今ににおいて、法的に保護
すべき喫緊の課題であるともいえるのである。
 (エ) 以上によれば、刑法175条によるわいせつ物の規制には、性的秩序や
最少限度の性道徳、健全な性風俗の維持を保護法益とするものとして、今日にお
いても、十分に合理的根拠があるというべきであるから、同条の保護法益ないし
立法目的に関する弁護人らの主張はいずれも採用できない。

一8一

として、違法不当の問題は生じないのである。したがって、弁護人らの上記主張
も理由がない。
3 明確性の原則ないし罪刑法定主義との関係について
(1)弁護人らは、刑法175条にいう「わいせつ」の概念は漠然不明確であり、表現
行為に対して萎縮的効果を及ぽすという意味で、憲法21条の要請する明確性の原
則に違反するとともに、憲法31条の要請する罪刑法定主義にも違反する旨主張す
る。(2)しかしながら、この点についても、最高裁判例は、刑法175条の構成要件
が不明確とはいえない旨繰り返し判示しており(昭和54年11月19日第2小法廷決定
・刑集33巻7号754頁、前記四畳半襖の下張事件判決、昭和58年3月8日第3小法廷
判決・刑集37巻2号15頁)、当裁判所も、これと同様に解するものである。若千補
足すると、ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法31条に違反するものと認
めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場
合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような.
基準が読み取れるかどうかによって決すべきものである(最高裁昭和50年9月10目
大法廷判決・刑集29巻8号489頁参照)。そして、最高裁判例が判示するとお'り、
刑法175条にいう「わいせつ」とは、「いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ、
かつ、普通人の正常な性的差恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」を
いい(最高裁昭和26年5月10目第1小法廷判決・刑集5巻6号1026頁、前記チャタレ
ー事件判決、同四畳半襖の.下張事件判決)、その判断に当たっては、前記のよう
な判断基準に従うべきものと解するのが相当である(上記四畳半襖の下張事件判
決、同昭和58年3月8目第3小法廷判決)・したがつて、同条の構成要件は、上記基
準に照らしても不明確なものでないことが明らかというべきである。したがって、
弁護人らの上記主張は理由がない。

一9一

(2) 刑法175条と表現の自由及び国民の知る権利との関係以上の判断を前提とし
て、刑法175条と憲法21条、特に表現の自由及び国民の知る権利との関係につい
て検討するに、刑法175条は、わいせつ物の頒布等を処罰する旨規定し、その限
りで表現行為に対する一定の制約を課すものである。しかしながら、同条の規定
が憲法21条には違反せず合憲であることは、最高裁判所が前記2件の大法廷判決
を含む累次の判例において繰り返し示してきたところであり(以下、これら累次
の判例を「最高裁判例」と総称する。)、当裁判所も、この判例の見解に与する
ものである。以下、弁護人らの主張に即しつつ、補足して説明する。
ア(ア) 憲法21条は、言論、出版その他一切の表現の自由を保障するものであ
るところ、表現の自由は、.個人の思想や人格の形成・発展に必要不可欠なもの
であるばかりでなく、個人の思想や様々な情報の自由な伝達、交流を確保すると
いう意味において、民主主義存立の基礎をなすとともに、文化の発展の根本的条
件ともなるべき極めて重要な人権であることはいうまでもない。(イ) しかし
ながら、表現の自由といえども絶対無制限なものではなく、名誉段損の例を考え
れば明らかなとおり、表現行為が他の法益と衝突するような場合には、一定の制
約を受けることがあり得ることは当然であり、もとより性表現物の頒布等におい
ても同様である。そして刑法175条が、性的秩序や最少限度の性道徳、健全な性
風俗の維持を保護法益とするものであり、今日もそのように解すべきこと、わい
せつ物の頒布等は、これらの法益を害するおそれのある行為であることは、いず
れも前に判示したとおりである。したがって、刑法175条がわいせつ物の頒布等
一般を処罰の対象とすることには、十分に合理的根拠があるといえるのであり、
そのため表現の自由が一定の制約を受けることがあっても、憲法違反とはならな
いのである。
(ウ) もとより、性表現物の中には、思想文書や文芸作品、学術論文や歴史的文
物等のように性的刺激以外に表現物としての社会的価値を有するものも含まれて
いる

一9一

から、そのような観点からも、検討を加える必要がある。そのため、最高裁判例
は、前記悪徳の栄え事件判決において、文書の個々の章句の部分のわいせつ性は、
文書全体との関連で判断されなければならないと判示し、'昭和55年11月2台目第
2小法廷判決・刑集34巻6号433頁(いわゆる四畳半襖の下張事件判決)において、
文書のわいせつ性の判断に当たっては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写
叙述の程度とその手法、その描写叙述の文書全体に占める比重、文書に表現され
た思想等とその描写叙述との関連性、文書の構成や展開、更には芸術性・思想性
等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点からその文書を全体としてみたと
きに、主として、読者の好色的興味に訴えるものと認められるかどうかなどの諸
点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会
通念に照らして決すべきであると判示しているのである。このように、刑法175
条にいうわいせつ性の有無は、芸術性・思想性等による性印刺激の緩和の程度に
和配慮しながら、文書を全体としてみたときに、主として、受け手の好色的興味
に訴えるものと.認められるかどうかなどを検討し、その時代の健全な社会通念
に照らして判断されるのであり、このような判断過程を経ることによって、わい
せつ物の規制と表現の自由及び後にみる国民の知る権利との間の合理的な調整を
図ることができるの'である。
(エ)したがって、.刑法175条の合憲性に疑問の余地はないというべきである。
.イ(ア)ところで、弁護人らは、刑法175条がわいせつ物の頒布等を一律に規制す
ることについて、規制の手段として合理性がないとも主張する。すなわち、同条
の保護法益に関する最高裁判例の見解を否定しつつ、弁護人ら独自の見解に基づ
き、同条の保護法益を「見たくない自由」と措定した上、その立津目的を達成す
るには、見たくない人が不意打ちを受けないようにするために、いわゆるゾーニ
ングを施したり、性表現物であることを明示するラベリングを施すような、より
緩やかな規制をすれば足りるのであり、実際に、各地方公共団体においては、有
害図書指定制度が整備され、ゾーニングによる販売が実現されているから、刑法
175条による規

一1O一

制は必要最少限のものとはいえず、違憲である、というのである。そして、諸外
国の立法例をみると、アメリカの多くの州のように、我が国と同様、わいせつ物
の頒布等を広く規制する立法例がある反面、ドイツやフランスのように、青少年
や児童の保護あるいは「見ない自由」の保護を規制目的として、その目的に応じ
た様々な規制をしている立法例も存在しており、立法政策としては、.弁護人ら
主張のような規制の在り方も考えられるところである。
(イ) しかしながら、前に判示したとおり、刑法175条は、性的秩序や最少限度
の性道徳、健全な性風俗の維持を保護法益としていると解されるのであり、弁護
人ら主張のように、わいせつ物を見たくない自由を保護法益とするものでも、各
都道府県における青少年健全育成条例のように、青少年の健全育成を直接の保護
法益とするものでもないから、弁護人らの上記主張は、まずもって、その前提を
欠くものというほかない。そして、刑法175条の保護法益を上記のとおり解する
以上、わいせつ物の頒布等一般を規制の対象とすることには、十分に合理的根拠
があるといえるのであり、表現の自由との関係においても、立法裁量の範囲内に
とどまるということができる。したがって、規制手段としての合理性に関する弁
護人らの主張は、いずれにしても理由がない。ウ(ア) また、弁護人らは、刑
法175条が、憲法21条により保障された国民の知る権利を侵害するものであるか
ら、違憲無効であるとも主張する。そして、本件漫画本が、実際に全国の書店で
多数販売されていることからすれば、少なくとも購読者が性的欲求を満たそうと
するなど娯楽の対象としての需要のあることは否定できない。
(イ) しかしながら、国民の知る権利が憲法21条1項の派生原理として導かれる
権利であり、刑法175条によるわいせつ物の規制により、国民の知る権利を害し、
上記のような需要を満たせなくなる事態が生じ得るとしても、表現の自由につい
て判示したところと同様の理由から、違憲の問題は生じないのである。

一11一

この点、弁護人らは、本件漫画本が捜査当局によりいったん摘発されてしまうと、
本件漫画本が社会通念に照らして真にわいせつな物であるかどうかという本件摘
発の正当性を審査するために、本件漫画本の内容を公表して市民間で議論するこ
とが不可能になるとも主張するが、前記チャタレー事件判決にあるとおり、刑法
175条にいう「わいせつ」な物に当たるかどうかは、法解釈、すなわち法的価値
判断の問題であるから、裁判所の専権に属する事項というべきであり、結果的に
弁護人ら主張のような状況が生じたとしても、国民の知る権利を不当に害するこ
とにはならない。したがって、弁護人らの上記主張はいずれも理由がない。2本
件漫画本の摘発に関する主張について(1)弁護人らは、捜査機関が本件漫画本を
わいせつ図画に当たると判断した過程について、わいせつ性を判断するのに適格
でない捜査員が不十分な検分により恣意的に判断し、その結果、捜索押収により
事実上の発禁処分の効果をもたらしているから、本件に刑法175条を適用するこ
とは、憲法21条、31条に違反して無効であるとも主張する。(2)しかしながら、
後に判示するとおり、本件漫画本は刑法175条にいうわいせつ図画に当たると認
められるのであり、捜査当局が本件漫画本を同条による摘発の対象として選択し
たことに何らの違法もない。しかも、本件捜査を担当した真庭和喜警察官の公判
証言を中心とする関係各証拠によれば、本件の捜査に当たり、警視庁生活安全部
保安課所属の十数名の警察官が、長時間とはいえないものめ、本件漫画本、その
作者の別の漫画作品及び別の漫画家の漫画作品をそれぞれ回覧し、東京地方検察
庁風紀係担当の検察官並びに有識者である刑法学者及び弁護士の意見を聞いた上、
本件漫画本がわいせつ図画に当たると判断して立件したものと認められるのであ
り、このような強制捜査着手に至る過程にも、何らかの違法があったことを疑わ
せるような証跡は全く認められない。さらに、頒布前の本件漫画本について網羅
的に差し押さえた点も、わいせつ物販売目的所持の捜査の対象となり得るもの

一12一

として、違法不当の問題は生じないのである。したがって、弁護人らの上記主張
も理由がない。
3 明確性の原則ないし罪刑法定主義との関係について
(1)弁護人らは、刑法175条にいう「わいせつ」の概念は漠然不明確であり、表現
行為に対して萎縮的効果を及ぽすという意味で、憲法21条の要請する明確性の原
則に違反するとともに、憲法31条の要請する罪刑法定主義にも違反する旨主張す
る。(2)しかしながら、この点についても、最高裁判例は、刑法175条の構成要件
が不明確とはいえない旨繰り返し判示しており(昭和54年11月19日第2小法廷決定
・刑集33巻7号754頁、前記四畳半襖の下張事件判決、昭和58年3月8目第3小法廷
判決・刑集37巻2号15頁)、当裁判所も、これと同様に解するものである。若千補
足すると、ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法31条に違反するものと認
めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場
合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような.
基準が読み取れるかどうかによって決すべきものである(最高裁昭和50年9月10日
大法廷判決・刑集29巻8号489頁参照)。そして、最高裁判例が判示するとお'り、
刑法175条にいう「わいせつ」とは、「いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ、
かつ、普通人の正常な性的差恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」を
いい(最高裁昭和26年5月10目第1小法廷判決・刑集5巻6号1026頁、前記チャタレ
ー事件判決、同四畳半襖の.下張事件判決)、その判断に当たっては、前記のよう
な判断基準に従うべきものと解するのが相当である(上記四畳半襖の下張事件判
決、同昭和58年3月8日第3小法廷判決)・したがつて、同条の構成要件は、上記基
準に照らしても不明確なものでないことが明らかというべきである。したがって、
弁護人らの上記主張は理由がない。

一13一

4 まとめ以上のとおり、刑法175条は合憲であると解されるのであり、同条によ
り本件漫画本を摘発するに至った過程には何らの違法も認められないから、同条
の違憲性、更には本件に同条を適用することの違憲件をいう弁護人らの主張はす
べて採用できない。
第2 本件漫画本のわいせつ性について1わいせつの意義、'判断基準について以
上判示してきたとおり、刑法175条にいう「わいせつ」とは、いたずらに性欲を
興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的差恥心を害し、善良な性的道義
観念に反するものをいい、その判断に当たっては、前記のような判断基準に従う
ことになる。この点、弁護人らは、今日における「わいせつ」の判断基準として、
「社会通念に照らし、現実に性器又は性交を見るのと同程度に強く性欲を刺激又
は興奮させるような露骨、詳細で生々しい態様で性器又は性交行為が表現されて
おり、その表現物を全体として観察し、性的に普通の成人を基準として、性を興
味本位に捉えて専ら読者の性欲の刺激に向けられた.ものと認められること」と
解すべきである旨主張するが、「わいせつ」の意義等について、このように限定
的に解釈すべき合理的な理由を見出す三とはできないから、弁護人らの上記主張
は採用しない。
2 本件漫画本のわいせつ性について
(1) 本件漫画本の構成、内容等について
ア 本件漫画本は、平成13年8月から平成14年4月までに販売された月刊の漫画雑
誌に掲載された諏訪優二(以下「諏訪」という。)の作品を1.冊の単行本にまとめ
て収録したものであり、1編16頁からなる短編8作品で構成され、うち1作品は前
編と後編に分かれるため、全体で144頁に及んでいる。そのうち、表紙及び巻頭4
頁のみがカラーで、残りはすべて白黒で描かれている。
イ 次に、本件漫画本における性に関する描写の内容・程度、その手法等につい

一14一

て検討する。同まず、本件漫画本では、すべての短編の中で;性交、性戯場面が
露骨で詳細かつ具体的に描かれている。すなわち、性交、性戯場面では、登場人
物の表情、性器の状態、登場人物の姿態の変化等が詳細かつ具体的に描かれ、特
に性器自体や性器の結合・接触状態については、その部分だけを1コマとして描
いたり、性器の結合状態を1頁のほとんどすべてを使って大きく緻密に描いたり、
性器の結合部分に焦点を当てて描くなど、構図に工夫を凝らしながら、性器自体
や性器の結合・接触状態を特に強調して描かれている。
(イ) また、本件漫画本における性描写が占める割合についてみても、頁数では、
全体の約82.6パーセント、各短編の75ないし87.5パーセントもの頁で、コマ数で
も、全体の約68.5パーセント、各短編の約62.0ないし約76.6パーセントのコマで、
件器ないし性交・性戯場面が描かれており・性器についても、全体の約35.0パー
セント、各短編の約26.7ないし約50パーセントのコマで描写されている。このよ
うに、本件漫画本は、その内容の大半が性器ないし性交、性戯場面の描写に費や
されているといえる。
(ウ)a もっとも、本件漫画本は、表現形態が漫画であることに特色がある。こ
の点、弁護人らは、手描きの絵による漫画と実写による写真等の性表現物との違
いを強調し、手描きの絵では、容易に恣意的な操作を行うことが可能であるし、
デフォルメ(変形描写)も施されるから、ある事象が絵によって表現されていたと
しても、他人がそれを実在の事象と結びつけて考える度合いは写真に比べて低い、
とりわけ、漫画では、特有のデフォルメが施されており、本件漫画本においても、
通常の手描きの絵以上に、実在の性器や性行為とはかけ離れたものとなっており、
普通人の性欲を刺激するかは疑問である旨主張する。
b 確かに、漫画を構成する絵は、写真や映像とは異なり、手描きの線や点など
で描かれるため、現実世界の事物が、絵の中では程度の差こそあれデフォルメさ
れることになり、そのやり方次第では、性的刺激を緩和することも可能ではある。

一15一

しかし反面、漫画という手法は、写真と同様に、性交、惟戯場面をあり姿のまま
表現し、読者の視覚、に直接訴えることができ.るという点において、文字情報
のみにとどまる文書と比べると、読者に与える性的刺激の程度をより強くするこ
とも可能な描写手法であるといえる。
 このような観点から本件漫画本をみると、登場人物の顔や着衣については、漫
画特有のデフォルメが施されているが、その程度は、弁護人らが提出した漫画本
等と比較しても、弱いものであり、顔以外の身体については、現実に近い形態や
比率で描かれていると認められる。また、性器は、他の部位に比して大きく描か
れ、その状態も、かなり誇張して描かれてはいるものの、本件漫画本の作者であ
る諏訪が、モデルとしたものはないが、リアルでいやらしく描写することを心掛
けたと述べるように、性器の形態や結合・接触状態の描写は、決して実物とかけ
離れているようなものではなく、むしろ人の情緒や官能に訴え、想像力をかき立
てて、実際の男女の性交、性戯場面を彷梯とさせうのに十分な迫真性や生々しさ
を備えているものと認められる。現に、本件漫画本は、多数の読者が購入する結
果となっており、そのこと自体、本件漫画本の性的刺激の強さを示すものといえ
るのである。同また、本件漫画本には、一応、性器部分に網掛けしたり、白抜き
にしたりすることでその部分の描写を隠すいわゆる「消し」と呼ばれる修正が施
されている。すなわち、巻頭のカラー部分には、自抜きによる修正が、白黒の部
分にも、出版業界でいう40パーセントの網掛けによる修正がそれぞれ施されてい
る。しかし、白抜きによる修正は、その程度が弱いため、当該部分に描かれた性
器の形状をおおむね把握することができ私また、網掛けによる修正も性器の中心
部のごく限られた範囲に施されているのみで、しかも、網掛けが非常に薄く、ほ
とんど透けて見えるため、.当該部分に描かれた性器の形状がほぼ完全に把握で
きるようになっている。そのため、本件漫画本では、これらの修正を施したこと
による性的刺激の緩和はほとんど認められないのである。
ウ 次いで、本件漫画本において、漫画の構成や展開、芸術性・思想性等により

一16一

性的刺激が緩和されていないかについても検討を加える。
(ア) まず、本件漫画本が何らかの芸術性や思想性の要素を含んでいるかどう
かについて検討するに、各短編は、それぞれ短いながらも1つの物語を構成して
おり、この点、弁護人らは、本件漫画本には人間の性の本来の姿というべきエロ
チシズムがテーマとして一貫して描かれており、また、性器の描写は、このよう
なテーマを表現する上で必要なものであり、専ら読者の性欲を刺激するための手
段とは認められない旨主張する。
 また、弁護側証人として出廷したポルノグラフィ等の評論家でもある藤本由香
里は、本件漫画本では、性器は女性との関わり合いの象徴として描かれており、
二者関係における性交渉というのは互いに快楽を交換するところにエロスがある
という作者のエロチシズムの象徴として性器が描写されており、それは専ら読者
の性欲を刺激するための手段ではない旨述べており・本件漫画本の9本の短編の
うち、7作品では、合意の上での性交、性戯場面が主として描かれていて、藤本
証人が述べるように、そこには性や女性に対する作者の一定の意識等が反映され
ていると見る余地もないわけではない。
(イ) しかしながら、本件漫画本では、物語の展開に使われている頁数が前認定
のとおり非常に少ない上、その筋書きも、冒頭の「新ヒロイン」という短編にお
いて、.特撮ヒロインになる夢を持つ女性主人公が、スタントの仕事を辞める際、
いわゆるアダルトビデオ.(AV)の仕事を紹介され、AV女優となる覚悟を決めて、
実際の性交を伴う撮影に臨むとされているように、いずれも作品の眼目である性
交、性戯場面を導入展開するためのものにすぎず、作品の中心はあくまでも性交、
性戯場面の描写にあるものと認められる。現に、作者である諏訪は、当公判廷に
おいても、本件の各短編が掲載された漫画雑誌は、あくまで成人向け雑誌であり、
読者は性的な興奮を求めて購入するので、描写に当たっては性的な刺激の高い、
リアルなものを描くことを念頭に置いており、・自分の作品については、芸術作
品だとは思っておらず、いやらしいものによる性的

一17一

な刺激を求める読者の要望に応じて、それに応えるために書いていた作品であっ
たと述べている。また、関係各証拠によれば、本件漫画本を出版した株式会社松
文館(以下「松文館」という。)の代表取締役である被告人も、同社が出版してい
る他の漫画本と同様に、自己が経営する同社の営業活動の一環として本件漫画本
を出版しているにすぎないのであり、本件漫画本の出版により何らかの芸術的・
思想的な表明をしようとしたものでないことも明らかである。この点、被告人自
身も、捜査段階においては、いかに男性に感じてもらい、性的欲求を満たすかを
目指して作品化していたと述べているのである。
 このような本件漫画本の構成や物語の内容・展開等にかんがみると、平均的読
者が、本件漫画本から、弁護人らや藤本証人が主張するように、一定の思想や意
識を読み取ると期待することは著しく困難というほかなく、したがって、単なる
好色的興趣以上のものを看取することはほとんど不可能というべきである。
 以上要するに、本件漫画本には、政治的言論はもとより、芸術的・思想的価値
のある意思の表明という要素はほとんど存在せず、本件漫画本は、その芸術性や
思想性等によって性的刺激を緩和する要素を含むものではないというべきである。
(ウ)かえって、本件漫画本の有する物語性は、性的刺激を高める機能を果たし
ていると認められる。すなわち、本件漫画本は、単に性器ないし性交・性戯の一
場酉を写真のように静止画的に描いたものを単に集めたものではなく、漫画特有
のコマ割り、登場人物の吹き出し等により、筋書きのある物語性を持たせて、そ
の中に性交、性戯場面を織り交ぜているのである。とりわけ、各短編の筋書きは、
前にみた「新ヒロイン」のほか「相恩相愛」や「這いずりまわる」のように、男
性が女性を暴力的に陵辱し、特に前者では女性がそのような行為を愛の形である
と述べるというもの、あるいは、「イノセント」のように、精神病院の女性患者
が医師を異常な性交渉に誘うというもの、その余も、高校や職場で安易に乱れた
性交渉が行われているというものであって、それぞれに暴力的、嗜虐的、反道徳
的であって現実離れしたものというほかない。

一18一

また、各短編中の性描写を含まないコマも、人物紹介ないし場面設定という側面
は持たせてあるものの、結局は性交、性戯場面に琴入展開させるための道具立て、
あるいは、話の結末を付けるための添え書程度にすぎす、かえって、上記のよう
な筋書きとも相まって、性交、性戯場面に至るまでの場面展開を盛り上げるなど
することにより、性交、性戯場面自体の性的刺激を増大さする役割を果たしてい
るものと認められる。このように、本件漫画本は、物語性を持たせることによっ
て、性交や性戯の1場面のみを写した写真よりも、読者に与える刺激の程度は大
きいと評価することもできる。しかも、本件漫画本では、各短編ごとに、異なっ
た場面設定を行い、異なった登場人物による、態様の異なる性交、性戯場面を詳
細に描いており、形態的な描写のみならず、登場人物の発言や発声、擬音語や擬
態語等も書き加えることによって、全体に臨場感を与えて、.性的刺激を高めて
いるといえるのである。
エ 以上によれば、本件漫画本は、正に、専ら読者の好色的興味に訴えるものと
認められるのである。
(2) 本件に適用すべき社会通念について
ア 最高裁判例が判示するとおり、わいせつ性の判断に当たっては、その時代の
健全な社会通念に照らし決すべきものである。この点、弁護人らは、表現行為に
対する萎縮的効果を生まないように、社会通念の判断基準の明確化が必要であり、
その判断に際しても、表現者に認識し得る事情を基礎とすべきであるから、本件
漫画本が制作販売された時代、巷間で流通していた弁護人ら提出の書籍を慎重に
吟味して、社会の実態に即しながら判断すべきである旨主張する。
イ(ア) そこで検討するに、もとより、時代の移り変わりに伴って、「わいせ
つ」に関する一般人の意識も変化していくものであり、社会通念もそれに対応す
る形で変化していくものと考えられる。そして、日本国内でも、近時、様々な性
表現物が氾濫して、一般の人々にも比較的容易に入手可能な状態になっている上、
その内容も過激さを増しており、その傾向はインターネットの普及によって更に
強まるなど、

一19一

性表現物をめぐる社会状況が徐々に変化していることは、前にみたとおりである。
その結果、一般人が過激な性表現物にも馴れたり、受容するなどして、その意識
に変化が生じ、それに対応する形で社会的認識が変化していくこともあり得ると
ころである。
 しかしながら、わいせつ性の判断に際し問題とされる健全な社会通念とは、前
記チャタレー事件判決が判示するように、社会を構成する個々人の認識の集合な
いしその平均値ではなく、これを超えた集団意識であり、彼にこれに反対の認識
を持つ個々人がいたとしても、その一事をもって否定されるべき筋合いのもので
はなく、ここでいう健全な社会通念がいかなるものであるかの判断は、裁判所に
委ねられた法解釈ないし法的価値判断というべきである。
(イ) そして、本件漫画本は、前認定のように、専ら読者の好色的興味に訴える
もめであるところ、近時の性表現物をめぐる社会状況の変化は、それ自体、刑法
175条が保護法益とする性的秩序や最少限度の性道徳、健全な性風俗の維持に脅
威を及ぼしかねないものであり、最近の性犯罪の激増とも一定の関係を有すると
うかがわれることは、前にも判示したとおりである。したがって、このような状
況の中では、前判示のように価値観が多様化した今日においても、本件漫画本の
ような露骨で過激な性表現物を許容するような健全な社会通念が形成されている
などと解する余地はないというべきである。
(ウ) a なお、弁護人らの主張に即しつつ若干補足するに、関係各証拠によれ
ば、弁護人らが主張するように、本件による摘発以前には、捜査機関によって漫
画本がわいせつ物の頒布等の罪により摘発されたことがないこと、本件漫画本を
構成する9つの短編はいずれも、平成13年8月から平成14年4月までの間に発行さ
れた松文館発行の雑誌「姫盗人」に連載されたものであるが、その連載中に、そ
の作者である諏訪や被告人ら同社関係者が行政庁や捜査機関から指導や捜査を受
けた形跡のないこと、弁護人らが証拠として提出した性交性戯場面を露骨に描写
した図画の掲載された漫画本、雑誌等が、平成11年ころ以降に現実に販売されて
流通して

一20一

おり、今日まで摘発されていないことが認められる。
 また、弁護側証人として出廷した刑法学者で、大阪府の青少年健全育成審議会
の会長をも務める園田寿は、本件漫画本と.同様の漫画本(コミック類)が多数出
回り、写真集の類の実写物も広く出回って、普通に書店で購入することができ、
しかも、インターネットで国内では禁止されているような画像を個人的に普通に
見ることができるという現状からすると、国民の多くがそういう事実を受け入れ
て、わいせつに対する考え方が大きく変わってきており、わいせつという概念が
指し示す事実の範囲がかなり狭くなってきていると述べた上、本件漫画本は、青
少年にとっては、刺激的なものであるから、有害図書として青少年健全育成条例
による規制の対象とはなるものの、かなりデフォルメされた漫画で、実写物より
はリアリティに乏しいものであり、普通の大人がこれを読んで興奮することはま
ずないと思われるから、刑法175条にいうわいせつ図画には当たらない旨述べで
いる。
 b しかしながら、本件漫画本は、専ら読者の好色的興味に訴えるものであり、
本件漫画本のような露骨で過激な性表現物を許容するような健全な社会通念が今
日においてもいまだ形成されていないことは、前に認定判示したとおりである。
また、園田証人は、普通の大人が本件漫画本を読んで興奮することはまずないと
も述べるが、同証人が青歩年健全育成条例上の有害図書の審査のために繰り返し
同様の図画を検分していることにも照らすと、同証人の本件漫画本に対する印象
を一般化することは相当でない。したがって、園田証人の上記意見を採用するこ
ともできない。
 C さらに、関係各証拠によれば、捜査機関は、本件漫画本について捜査情報
が得られるや・早期に摘発に及んでいることが認められる。また、被告人の公判
供述によっても、新しい出版社から修正のほとんどない漫画本が出版され始めた
のは、平成12年ころであったというのであり、弁護人らが提出した漫画本がいず
れも平成11年12月以降に出版されたものであることも考慮すると、本件漫画本と
同様に露骨で過激な内容の漫画本が社会に出回ったのは、本件漫画本が摘発され
る前の三、四年間にすぎなかったものと認められる。さらに、平成10年ころ以降、
刑事

一21一

事件、とりわけ凶悪事件の認知件数が激増していることも考慮すると(各年度の
犯罪白書によると、殺人又は強盗(致死傷・強姦を含む。)の認知件数の合計は、
平成9年が4091件、平成10年が4814件、平成12年が6564件、平成14年が8380件に
及んでいる。)、捜査機関が漫画本に対する摘発をしなかったのは、凶悪事件等
の捜査に忙しい中、その限られた人員や捜査能力を振り向ける対象として漫画本
を想定していなかったためにすぎないとうかがわれるのであり、本件漫画本と同
様の漫画本等が流通していることを承知していながら、あえて摘発せず放任して
いたなどとは到底認められないのである。
 d また、弁護人らが証拠として提出した出版物のうち、浮世絵ないし江戸時
代や明治時代の春画は、それぞれに、著名な浮世絵作家の作品として、あるいは
懐古一趣味に応える歴史的文物として、興味を抱かせるものであり、性行為の指
導書も、夫婦を中心とする男女の性生活の充実に資するものであるなど、本件漫
画本とは、読者が興味の対象とする目的及び内容を異にしており、専ら読者の好
色的興味に訴えるものとはいえない。また、その余の漫画本ないし漫画雑誌の中
には、本件漫画本と同様に、専ら読者の好色的興味に訴えるものや、中には修正
が施されていない漫画本も見受けられるが、その多くは、漫画特有のデフォルメ
が本件漫画本以上に強く施されているために、本件漫画本と比べると現実味や追
真性に欠けるものが多いと認められる。結局、本件漫画本は、弁護人らが提出し
た漫画本等との比較においても、特に性表現の露骨さや詳細さにおいて劣るなど
とは到底認められず、むしろ現実味、追真性は、かなり高い部類に属すると認め
られる。
 e そうすると、弁護人らが指摘する事実を踏まえて検討しても、本件漫画本
を許容するような健全な社会通念は、今日も存在しないというべきである。
 (3) 以上みてきたとおり、本件漫画本は、性に関する露骨で詳細な描写の程
度とその手法、性に関する描写の漫画全体に占める比重、漫画に表現された思想
等とその描写との関連性、漫画の構成や展開、芸術性・思想性等による性的刺激
の緩和の程度、そして、これらの観点から本件漫画本を全体としてみたときに、
専ら読者の

一22一

好色的興味に訴えるものと認められることなどの諸事情を総合すると、今日の健
全な社会通念に照らしても、いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通
人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するところの、刑法175
条にいう「わいせつ図画」に該当すると認めるのが相当である。
第3 故意について
 弁護人らは、被告人には、わいせつ図画頒布罪の故意が欠けているか又は本件
漫画本がわいせつ図画でないと信じるにつき相当な理由があったから、同罪の故
意は認められず、被告人は無罪である旨主張するので、以下検討する。
 1 構成要件的故意について
 わいせつ図画頒布罪の故意が成立するには、前記チャタレー事件判決が判示す
るとおり、当該図画の描写の内容とこれを頒布することについての認識があれば
足り、その描写が刑法175条所定のわいせつ性を具備するという認識まで必要と
しないことは明らかである。そして、本件漫画本が露骨で詳細な性描写で占めら
れていることは、一見すれば誰にも明らかなことである。しかも、関係各証拠に
よれば、被告人は、本件漫画本を出版する松文館の代表取締役として、その刊行
に当たり、修正の程度を50パーセントから40パーセントに軽減するよう指示した
り、原稿を確認した上で、セリフの一部についての修正さえ指示するなどしてお
り、最終的に完成した本件漫画本も通読して内容を確認していることが認められ
る。
 したがって、被告人が、本件漫画本の内容を把握した上で、これを頒布したこ
とは明らかであり、故意が成立するための認識に欠けるところはなかったものと
認められる。
 2 違法性の意識について
 次に、被告人の違法性の意識について検討するに、被告人は、この点、当公判
廷において、おおむね以下のように供述している。すなわち、新規参入の出版社
は、ほとんど修正がない性表現を含む漫画を出版していたが、特に警察から警告
を受け

一23一

たり、摘発されたりという話は聞かなかった、毎日いろんな雑誌を買ってきては、
自社のものと見比べて検討しており、書店側から業界で6位か7位程度と言われる
程度でやめておこうと考えていた、また、浮世絵が摘発を受けていないので、漫
画の場合も無修正で大丈夫だろうと思っていた、本件漫画本は摘発されるべきで
ないと思ったが、摘発のおそれがあるから・それを消すために修正を入れた、本
件漫画本の程度の修正で十分と思ったのは、同程度の修正しか行っていない他の
出版社が摘発されたと聞かなかったためである、自分が犯罪をやっているという
認識は全くなかった、などと供述している。
 しかし、被告人の供述によっても、被告人が自己の行為を適法と誤信したとす
る根拠は、要するに、無修正の浮世絵や自社よりも修正の程度が弱い漫画本を刊
行している出版社について警告や摘発があったと聞かなかったことに尽きるので
あり、被告人が所管官庁に相談に出向くなど、公的機関の指示を仰ぐなどした形
跡は全く認められない。
 そうすると、被告人が、その述べるように、自己の行為を適法であると誤信し
ていたとしても、そのことについて相当な理由があるとは到底認められず、違法
性の意識に欠けるところはないというべきである。
第4 結 論 
 以上のとおり、刑法175条は合憲であり、本件に同条を適用することにも何ら
の違法も認められないのであり、しかも、判示事実はいずれも、本件漫画本のわ
いせつ図画への該当性の点を含めてすべて認定することができるから、一これに
反する趣旨の弁護人らの前記主張はいずれも採用しない。(量刑の理由)本件は、
出版会社の代表取締役である被告人が、同社の編集局長及び同社専属の漫画家と
共謀の上、わいせつ図画である漫画本を取次の販売業者に頒布したというわいせ
つ図画頒布の一事案である。被告人は、その経営する出版会社を通じて、合計2
万冊余りものわいせつ図画で、

一24一

ある本件漫画本を東京都内やその周辺のみならず、大阪・名古屋を含む21か所に
おいて、取次の販売業者合計16社に対し頒布しており、大規模かつ組織的な犯行
で、その態様は大胆かつ悪質である。しかも、その結果、本件漫画本は、頒布先
の取次業者を通じて全国各地の書店合計約5300店に搬送された末、実際に店頭に
置かれて販売に供され、一部は販売済みであり、本罪の保護法益である性的秩序
や最少限度の性道徳、健全な性風俗に与えた悪影響は軽視し得ないものがある。
被告人は、上記会社の代表取締役として、同社の業務全般を統括し、同社で制作
・販売されるいわゆる成人向けの漫画本についても、その企画や修正の確認など
を自ら行い、特に数年前からは、低迷する同社の売上を回復させようとして、同
社で出版する漫画本における性器描写の修正の程度を少なくするよう指示してい
たものである。.そして、本件漫画本についても、被告人は、その原稿段階から
関与して、各短編の修正の程度を先に掲載された月刊誌の場合よりも更に低くす
るように指示するなど、部下に様々な指示を出し、その結果、同社として970万
円余りの相当多額の利益を得ているのであり、本件犯行における首謀者としての
責任を免れないばかりか、利欲のためには手段を選ばないその姿勢は、厳しい非
難に値する。
 なお、弁護人らは、被告人が、本件漫画本を含む自社発行の成人向け漫画本に
ついて、「成人コミック」というマークを入れたり、「18歳未満の方のお買い求
めはできません」と表示された棚プレートを作成して書店に配布したり、中身が
見えないようビニール袋で梱包する資金を支出するなど、青少年に対する悪影響
を回避するための一定の配慮をしていた旨主張し、その主張に沿った証拠も存在
するが、本件は、わいせつ図画の事案であって、青少年に対する有害図書として
摘発されたものではなく、しかも、関係証拠(甲42)からうかがわれるように、本
件漫画本が書店の店頭で他の一般図書と並んで陳列されることもあるという実情
に照らすと、弁護人らの指摘する上記事情を本件の犯情として重視することはで
きない。加えて、被告人は、当公判廷において、本件漫画本を頒布したことは認
めながらも、そのわいせつ性について争うばかりか、本件漫画の描写がリアルか
どうかなど、

一25一

は専門家でない警察官や検察官には分からないなどと広言して、自己の行為が社
会に与えた悪影響について反省する態度は全くみられないのである。
 そうすると、被告人の刑事責任は決して軽くはないというべきである。しかし
他方において、頒布された本件漫画本の一部は回収されて、実際に社会に出回る
ことを免れていること、被告人は、その述べるところによると、本件摘発後は、
自社で出版している漫画本の修正の程度について見直しを行い、現在は、従前よ
り強い修正を施して販売しているとうかがわれること、被告人には前科がないこ
と、被告人が本件により44日間身柄を拘束されているほか、その経営する会社が
本件の摘発により大きくダメージを受けたとうかがわれるなど、相応の社会的制
裁を受けていること、その他被告人のために酌むべき事情もある。そこで、これ
ら諸事情を総合考慮すると、被告人に対しては懲役1年に処した上、上記のよう
な犯情に照らしその刑の執行を猶予するのが相当である。よって、主文のとおり
判決する。
平成16年1月13日
 東京地方裁判所刑事第2部

裁判長裁判官 中谷雄二邸

裁判官 横山泰造

裁判官 中村光一

一26一